現地視察の報告

2009年7月26日~29日の日程で、フィリピンのバタンガス州マンガハン村にあるデイケアセンター(2007年設立)に稲田和宏(英語科教諭)・首藤崇志(地歴科教諭)・金谷崇史(2007年国際コース卒業生)・富平志保美(同上)の4名で視察を行った。  今回の視察は、スクール・バイ・スクール(SBS)担当者の新任挨拶に加え、実際にデイケアセンターが機能しているのか、さらに今後の課題は何かあるのか、生徒引率は可能であるのか、など様々なことを確かめることが主な目的であった。

雨期の首都マニラに到着

この時期(7~9月)のフィリピンは雨季であるため、航空運賃も往復で3万7千円と安い反面、日程中、しばしば雨に悩まされ、視察時期としては不適であった。

車で移動中に見た首都マニラは、高層ビルがあちらこちらで建設中で、急速に発展していっていることが感じられたが、一方でバラック小屋が立ち並ぶスラム街地区も多く残っていた。また、車に乗って信号待ちをしていると、貧困層の子供が近寄ってきて、車の窓を拭く代わりにチップをもらうといった光景にもたびたび遭遇した。

貧富の差が激しい村の子供たち

首都マニラから車で高速道路を走り、約2時間で桃山学院高校の建てたデイケアセンターがあるバタンガス州マンガハン村に到着した。村の道路は舗装され、道路脇には電灯も灯っていた。マンガハン村は急峻な尾根地形に形成された村で、平坦部が少なく、デイケアセンターを立てる際も、造成工事を行ったそうである。

また、村の中の貧富の差が激しく、コンクリートブロック壁の家もあれば、バラック小屋のような家、竹や木でできた家もあった。デイケアセンターに子供を通わせることの出来る村人は、村でも平均的な所得者層以上の家の子供であり、低所得者層の家の子供はデイケアセンターには来ていない。その理由は、勉強させる時間があれば、子供に労働をさせた方がよいという考えに基づいていると思われる。

さらにデイケアセンターでは、制服を買わなければいけなかったり、教科書・練習ノートの費用もかかる。また、基本的には授業料は無料であるが、月謝として一人50ペソ(日本円で約100円)を払って、それを一人しかいない先生の給料に当てているが全員が払っている訳ではないそうだ。ちなみに先生の給料は月額300ペソ(約600円)で、フィリピンの平均月収がだいたい7000ペソ(約1万4千円)であるため、先生は結婚しているが、ボランティアであるといっても過言では無い。

デイケアセンターでは月~金曜日までの午前中に授業があり、昼食は各保護者が食材と調理を持ち回りで担当しているため、それを考えるとやはり低所得者層の家にとって負担は大きい。今後は、このような低所得者層の家庭の子供も通える学校運営を考えていかなければならない。

予想以上にしっかりした建物

デイケアセンターは現在では、1階が教室として、2階が村の集会所として、こちらの予想以上にしっかりと機能していた。我々が着いたのが、夜の9時ぐらいであったが、先生・保護者・村人の10名ぐらいが、熱烈に歓迎してくれた。デイケアセンターが設立されて以来、それまで疎遠であった村人同士でコミュニティーが形成され、村人同士の仲が非常に良くなったそうである。今、思いつく限りでは、年に一回ぐらいでチャリティーの「村の祭り」などを行い、その収益をデイケアセンターに充て、低所得者層の子供も通える学校に出来はしないだろうかと思った。今後、検討していきたい課題である。

晩は、村でも役員職を務めるような、比較的裕福な家に4人で泊めていただいたが、部屋数・ベッドが足りなかった。今後、仮に生徒引率を考える場合、やはり教員2名・生徒2名が限界であると思う。さらに白米等の食事や宿泊自体、彼らは決してそれを表に出さなかったが、村人にとってかなりの負担であると推測することができた。村人同士で話している言語は、現地のタガログ語であったが、ほとんどの大人が英語を話すことができる。

デイケアセンターの抱える課題

2日目、デイケアセンターに行くと、休みの日にも関わらず、15名の生徒(3~6才で、女子11名・男子4名)とその保護者達が歓迎してくれた。その際、練習をかなり積んだであろうダンスを披露してくれた。

現在のデイケアセンターの課題は、先生の子供一人のみしか持っていない教科書・練習ノートの問題と休憩時間などに遊ぶプレイグラウンドの問題である。国指定の教科書は非常に高価なため(約1,200円)ほとんどの家庭では買えない。 プレイグランドについては、現地で建設予定地の下見を行った。

フィリピン社会の現実を垣間見る

今回は、マンガハン村のデイケアセンターだけでなく、他のデイケアセンターの視察も3箇所行なった。どのデイケアセンターでも、低所得者層の子供の通学問題や教科書不足の問題は、悩みの種であるらしい。

さらにバタンガス州マタスナカホイ市の副市長への表敬訪問なども行い、その際、市の環境担当執政官に同行していただいて、郊外にあるゴミ山への見学を行なった。そこでは各地からゴミを集め、プラスチックなどを取り出し、それをチップ状にして売るという仕事を行なっており、児童労働が行なわれているという話であった。

結局、奥地までは入れさせてくれなかったが、フィリピンの社会問題の一端を実際に見られたことは非常に大きかったと思う。

本当に子供たちに役立つ支援とは

3日目の夕食はマニラ市内で市長と食べたが、レストランを出てすぐにホームレスの子供たちが近寄ってきて、「何か食べ物をくれ」というようなジェスチャーをして、不意に私の左ひじに触れてきた。私は、デイケアセンターと同じぐらいの年であろう子供たちのその顔が非常に老けているように見え、非常にショックで、忘れられずにしばらく考えさせられた。

デイケアセンターを建てても、そこに通える子供たちは、平均的な所得者層以上の子供たちである。本当に救わなければならない子供たちは、もっと低所得者層の子供たちではないのか。また、裕福な家の子供であっても近くに学校が無いため教育を受けれない子供もたくさんいる。一方で、近くに学校があっても経済的な理由で学校に通えない子供もたくさんいる。このジレンマに気付けただけでも、今回のフィリピン視察は本当に意義があったと思う。

では今後、スクール・バイ・スクール・プロジェクトの方針や活動をどのように設定していくのか。これを今回の視察で得られた経験やデータを共有し、SBSの生徒や桃山学院の先生方と一緒になって考えていかなければならない。また、学院内だけにとどまらず、もっと日本の社会全体に問うていかなければならない問題なのかなとも思う。


このページの先頭へ